息子の誕生日に、1人で子育てするようになった2年前のことを振り返る

photo credit: absolut xman via photopin cc
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つい先日、次男が誕生日を迎えました。春に誕生した長男と2人して、今年も1歳ずつ年を取り、それぞれ4歳と7歳になりました。思えば私が男1人で子育てをするようになったのは次男が2歳になる直前だったので、ちょうど2年余りが過ぎたことになります。

目次

  1. 2年前は自分の名前も言えなかった
  2. 「ママと寝たい!」
  3. 「子どもがなついてくれない」というパパたちの声に思うこと
  4. ママがいい、は当たり前の反応
  5. 子どもにとっての時間の重み
  6. 毎日続けることの大切さ

2年前は自分の名前も言えなかった

当時は自分で自分の名前も言えないほど、次男は小さな子どもでした。私と長男とで次男の名前を1文字ずつ発音し、1文字ごとに真似をさせて、名前を言う練習をしたことを思い出します。家の階段の上り下りも、服の着替えも1人ではできなかったころです。

上にお兄ちゃんがいるため、ついつい私は次男を「小さな子」と思ってしまいがちですが、この2年間だけでも言葉の発達はもちろん、少しずつ自分で身の回りのことができるようになったり、人の話を聞いて理解する力が備わってきたりと、大きく成長しています。

日記で1年前の誕生日の出来事を読み返してみたら、ケーキのろうそくに火を付ける時、部屋の電気を消して暗くするのを怖がったと書いてありました。確か「怖い、怖い」と泣いてしまい、やむを得ず明るいままバースデーソングを歌いました。今年はすっかりそんなこともなくなり、過ぎ去った1年の大きさを感じます。

「ママと寝たい!」

2年余り前、自分1人で子育てをするようになった時、最初に直面したのがこの問題でした。当時5歳だった長男にはそんなことはなかったのですが、次男は私が一緒にベッドに入って寝かしつけようとしても、「ママがいい」と言って泣いてしまいます。自分の名前は言えなくても、その言葉は口にすることができたのです。まだ2歳にもなっていなかった次男。本当につらい思いをさせてしまいました。

自分にできることは、寝室を「寝るための部屋」から「遊ぶ部屋」へとイメージチェンジすることぐらいでした。お風呂が終わったら「2階で遊ぼう」と声をかけ、寝室で本を読んだり、お話をしたりして過ごしました。それでも最後はやっぱり泣いてしまう。長男の発案で、iPhone に入っていた昔の家族写真を見せながら寝かしつけるようになりました。

「子どもがなついてくれない」というパパたちの声に思うこと

今回、こんな記事を書いてみようと思った理由の1つは、小さなお子さんを持つパパたちの「子どもが自分になついてくれない」という声を最近よく見聞きしたことです。戸惑いや嘆き、ショックが込められた声です。

私自身も上に書いたような経験を経ているので、そうした声はすごく理解できます。と同時に、その後の経験も踏まえて、「そういう時期はほんの一瞬ですよ」ということを伝えたいと思ったのです。私はシングルファザーなので世の中のパパさんたちと若干立場が違う部分はありますが、それでも男が育児をするという根本は一緒です。そして、男には育児ができないとか、男は育児に向いていないなどとは、全く思いません。

ママがいい、は当たり前の反応

まだ小さな子どもにパパが関わろうとした時に、子どもが「ママがいい」と反応するのはすごく自然なことだと思います。子どもが産まれてから、文字通り付きっきりで身の回りの世話をしてきたママに比べれば、パパがやってきたことなんて微々たるものです。すでにその時点で周回遅れの差がついています。

でもそういった反応がずっと続くわけではありません。男親が子どもとの間に絆を結んでいくことは十分に可能ですし、子ども自身も精神的に成長していきます。大切なのは、時間の流れに身を任せることだと思います。特に2歳のころは「魔の2歳児」という言葉もある通り、それまでの積み重ねがあるママであっても手を焼く時期です。

子どもにとっての時間の重み

次男の話に戻りますが、寝る時に「ママがいい」と言って泣きだしてしまう状況は、結局1–2週間ほどで終わりました。私自身はそういった期間がもっと長く続くのだろうと考えていましたし、正直なところ、初期の段階で「やっぱり男の自分に育児は無理なのかもしれない」とも思いました。ですが次男は、大人の私から見れば驚くほど短期間のうちに、そういった環境を受け入れていったのです。

もちろん、子どもならではの適応力の高さや前向きな思考の仕方も背景にあったとは思います。その一方で、子どもにとっては大人が考える以上に1日1日の経験に重みがあることもまた、次男がわずかな期間で環境の変化に慣れていったことの大きな要因だったと感じます。何十年も生きてきた親にとっての1日と、まだ何年も生きていない子どもにとっての1日とでは、自ずと重みが違ってくるはずです。

毎日続けることの大切さ

子どもと触れ合う上では「毎日続けること」が重要なポイントであるように思います。私は毎日次男の送り迎えで保育園に行きますが、他の園児たちも毎日私の姿を目にすることで、次第に慣れて向こうから声をかけてくれるようになりました。たわいもない会話をほんの数秒するだけでも、毎日続けていると子どもとの間にある壁がなくなっていきます。

新しく着任した保育士さんに対しても、1週間もすれば子どもたちは慣れっこになっています。また、自分の子どもの近所の人たちへの接し方を見ていても、毎日会う人に対しては名前もしっかり覚え、気安く話しかけるようになります。相手が男性か女性かは全く関係ありません。

まだ子どもが小さいうちは、1回1回の触れ合いの密度もさることながら、頻度こそが大きな意味を持っているように思います。パパたちが小さなお子さんに関わろうとする時、たとえ最初は拒絶されたとしても、毎日少しずつでも触れ合っているうちにきっと受け入れてもらえるはずです。

魔の2歳児期を過ぎ、3歳、4歳と年齢を重ねてくると、子どもは精神的にもかなり成長し、落ち着きが出てきます。体力も付き、外遊びのような体を動かす遊びが好きになっていきます。とりわけ男の子であれば、電車ごっこや戦いごっこなど、親の体力を消耗させる遊びが好きです。そんな時こそ、パパの出番です。今はなかなか思うように子どもが自分と遊んでくれなかったとしても、パパの出番はきっと訪れます。

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