子どもに対する親の影響の大きさについて考えさせてくれた3本の記事

photo credit: Alain Bachellier via photopin cc
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少し前のことになりますが、先日の「母の日」に書かれた1本のブログ記事を読んで、大いに考えさせられました。自身の成長に大きな影響を与えた「母」という存在についての記事です。私もこれまでの成長の過程で親から大きな影響を受けています。そして今、2児の父として我が子と向き合う立場になり、今度は自分自身が否応無しに子どもに影響を与える存在になったのだと、たじろぎも覚えつつ実感します。

まえがき

実はこの記事は、2週間ほど前に書き上げながらも事情や心境の変化があって公開せずにいたものです。とあるきっかけから、再度この記事に向かい合おうという決心がついたので、執筆を続けることにしました。全面的に再構成することも考えましたが、そうした変化もそのままお伝えする意味で、あえて追記という形を取りました。具体的には、記事のリードと目次の1–4が2週間前に書いた部分、このまえがきと5以降が新たに書き足した部分です。このような手法を取ったため、構成や文章の流れにお見苦しいところがあるかもしれませんが、その点はご容赦ください。

目次

  1. 記事
  2. 50円の記憶
  3. 長男と次男
  4. なるようにしかならない
  5. 事情や心境の変化
  6. 立ち直るきっかけになった2本の記事

1. 記事

今回の記事を書こうと思うきっかけになったのは、*you さん (@ateitexe) の記事でした。

この中で *you さんは子どもの頃からのお母さんへの思いを振り返り、次のように述べています。

母はずっと私のなかでは絶対的な存在でした。明らかに間違ったことは言わないし、礼節や基本的な常識など、たくさんの大切なことを知っていて、それを教わって生きてきました。

・・・中略・・・

当たり前のことですが、「常識」って各家庭で違うんですよね。わたしは、今まで自分が思ってきた「常識」というものは、母から形成されたものだということに気がつきました。

これは多くの人に共通することではないでしょうか。まだ思考形成も人生・社会経験も乏しい子どもにとって、親はいい意味でも悪い意味でも絶対的な存在になり得ます。「常識」を形成していく上で、親が与える(与えてしまう)影響の大きさは計り知れないものがあると思います。

2. 50円の記憶

私自身、後の人格形成につながった年長時の母とのやりとりを、鮮明に記憶しています。幼稚園からの帰り道。商店街を歩きながら、駄菓子屋で100円のお菓子をねだった際、「家を買うためにお金を貯めなければいけないから、50円のお菓子にしてね」と言われました。

100円のお菓子を買いたい気持ちを押さえつけられたということではなく、むしろ妙に納得して、新しい考え方を知れた新鮮な気持ちで、50円のお菓子を手に取ったことを覚えています(母から見てどうだったのかは分かりませんが、自分の記憶として)。なるほど、こうやってお金は大事に使わなければいけないのだな、と。

何気ない一言だったのかもしれませんし、もしかしたら私が毎日のようにお菓子をねだっていたのかもしれません。ただ、とにもかくにも、私はその出来事から「お金は大切に使って、貯めていかなければいけない」という価値観を学びました。学んでしまった、とも言えます。

親が特定の価値観を子に身に着けさせようと意図するケースもあれば、親にそうした意図がなくても勝手に子どもが感じ取るケース、あるいは反面教師的に逆の価値観を子どもが体得するケースもあるでしょう。そのいずれであっても、親の言動、往々にして親の些細な言動が、子どもに大きく影響を及ぼしてしまいます。

3. 長男と次男

1年前、長男が年長になった時、私が真っ先に思い返したのが、上に記した幼い頃の記憶でした。「たった50円の出来事を鮮明に心に刻んだ、あの頃の自分と同じ年齢になってしまった」と思ったのです。自分の一挙手一投足がどんな風に影響してしまうか分からない。感慨というより、たじろぎでした。

そして今。「洗濯物は今2階に持っていくんじゃなくて、寝る時に一緒に持っていくね。そうすれば一度で済むから」「これは明日絶対に学校に持っていくものだから、忘れないように玄関に置いておくよ」などなど。まんまです。

私が大人として、家事を効率的にこなさなければいけなかったり、学校や保育園への提出物を忘れないようにしなければいけなかったり、といった事情で取っている行動が、幼い長男にもやはり影響を与えてしまっています。

次男に至ってはお兄ちゃんが身近なモデルなので、どこまで意味を理解しているかは別にしても、年少であるにもかかわらずそうした行動を真似ようとします。

子どもたちのこうした行動がいいことなのか、そうでないのかの判断は自分にはつきません。時間を有効に使おうとすることや、忘れ物をしないように工夫すること自体は決してマイナスのことではないかもしれません。ですが、それらを身に着ける時期はもっと後でいいのではないかと、親として迷いも感じます。まだ子どもですから、時間を気にせずにだらだらとしたり、無駄な時間を過ごしてしまったと後悔したり、時には忘れ物をして先生に注意されたりする経験も必要ではないか、と思うのです。

かと言って、大人である私の立場では、効率性を考えずに家事を行うほどの時間的余裕や、提出物の期限を忘れても平然としていられるほどの心理的余裕はありません。そこに親としての理想と、大人としての現実とのギャップを感じます。

4. なるようにしかならない

ただ、こうして考えてくると、自分の立ち位置というか身の振り方について、結局どうすればよいのかが分からずにひどく戸惑いを覚えることにもなります。良くも悪くも、意識的にも無意識的にも、親は子どもに影響を与えてしまう。その結果として子どもが身につけた性質は、一面では好ましいものだったとしても、時と場合によっては好ましくないものにもなり得る。逆もまた然り。出口の見えない迷路のようにも思います。

最終的には、なるようになる、そしてなるようにしかならないと、腹を括るしかないのかもしれません。親の影響は確かに大きいものの、子どもは決して親の在り方をコピーして生きるわけではありません。最後は自分で自分の道を歩いていくのだと思います。

5. 事情や心境の変化

これ以降の文章は、まえがきに書きましたように新たに追記した部分になります。

ここまで書いておきながら記事を公開せずに来たのは、その後に事情や心境の変化が訪れたためです。まず事情の変化で言えば、実は長男が毎日の学校への持ち物のうち、ティッシュを頻繁に忘れて行っていることが発覚しました。学校の図書館で借りた本や、週末に持ち帰る歯磨きセットを家に忘れたまま登校することも目に付くようになりました。

これらのことから、私は思いのほか大きなショックを受けました。長男が忘れ物をしたという事実がショックだったのではなく、そうした事実に気がつかずにいた自分の目の節穴加減や、「もう学校にも慣れたから大丈夫だろう」と勝手に思い込んで目を離しがちだった自分の慢心っぷりを思い知り、ショックを受けたのです。

そうしたショックは、そのまま自分の心境の変化にもつながります。「親として十分なことができていない」。そういった思いにとらわれてしまうと、自分自身の自己肯定感が揺らいでいきます。

子どもたちには、帰宅したらまず学校や保育園の持ち物の片付けと、翌日の準備だけはやってほしいのですが、どんなに言ってもやってくれないことに、イライラも募っていきました。「学校や保育園で頑張ってきたんだから、家ではくつろがせてあげた方がいい」と頭では分かっていても、実践することができずにいました。

本来なら、帰宅してすぐではないけれども最終的に自分で片付けや準備をしている子どもたちを、親である私はたたえなければいけないはずでした。長男は入ったばかりの小学校生活にまだまだ慣れていないし、次男はまだ3歳なのに自分なりにできる範囲で片付けや準備をしているのです。それなのに、私はいつの間にか、子どもたちのできることではなく、できないことの方に目を向けるようになってしまっていたのです。言葉や態度の面でもきつく当たってしまうことがありました。はっきり言って、親失格です。

もちろん、働きながらシングルファザーとして1人で子ども2人を育てるのは、生やさしいものではありません。ただ、死別ではなく離別の結果として私自身が父子家庭を選んだ以上は、自分でどんなに大変だと感じていたとしても、子どもたちからすればそれこそ親の勝手な都合なんですよね。まして、夫婦の間で叱り役とフォロー役を分担できる一般の家庭と違って、1人2役なのでなおのこと、私が不機嫌になってしまうと子どもたちは行き場を失ってしまうことになります。

親が子に与える影響の大きさを思いながら、現実には子どもに悪い影響を及ぼす行動を取ってしまっている。それを自覚しているだけに、実はかなり苦しい2週間だったのです。

6. 立ち直るきっかけになった2本の記事

自分自身が精神的に子どもなところがあり、いったん悪い局面に入り込んでしまうと、なかなかすぐに立ち直れずにずるずると引きずってしまう悪い癖があります。今回の件も、何とかしなければと思いつつ、自分で事態を打開することができずにいました。気持ちの整理がつき、こうして記事の続きを書こうと思えるようになったきっかけは、外から訪れました。

1つ目は、としさん (@toshi586014) の記事です。

記事の中で、としさんは小さいころ、お母さんから怒られはしても決してダメ出しはされなかったと書いています。その一方で、お母さんから「お魚を上手に食べるね」と褒められたことが、小さな成功体験として後の自分を作った、と言います。親が持つ影響の大きさ、そしてちょっとした言葉が持つ影響の大きさに、あらためて思い至りました。

としさんの記事をきっかけに、ひろまさん (@hiroma20) が書かれた記事にも共感しました。

ひろまさんは記事の中で、親が子どもの成功体験を促すことの大切さに触れています。その上で、大げさな言葉でなくていいから、何気ない言葉を子どもにかけてあげよう、と訴えています。そうした記事の内容に、昔読んだ育児書にあった親の1番の役割は子どもの自己肯定感を育むことであるという一節を思い出しました。

2つの記事は、ちょうど今の自分がやろうと思いながら全くできていないことを、真っ正面から突いていました。いつまでも後ろ向きな気持ちのままでいるわけにはいかないのだと、気づかせてくれました。最初に紹介した *you さんの記事も含め、3つとも育児に悩んでいる人、疲れている人に、ぜひ読んでもらえたらうれしいです。

この記事は、勢いもあって夜通しで書きました。予約投稿をして、寝ることにします。朝起きたら、まず子どもたちに謝るところから始めたいと思います。

One thought on “子どもに対する親の影響の大きさについて考えさせてくれた3本の記事

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